足止め風雲録

Master of Epic(MMORPG)における、日々の痴態を晒す日記。 ついに幕府を開き、次なる終着点はいづこ…。

Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

雑記の参:No title.

連載休止だ何だと触れ回っておきながらもちょいと更新してみたり・・・。

まあ更新といっても雑記だし、ただの駄文にすぎないわけですが。

とにかく今月に入って忙しくなった要因の一つが過ぎ去ったものですから、それについての事。

何分、内容が内容なものですから暗いところもあるかと思います。

そんなものは読みたくねぇぜ!という方はここで止めておいて、また次回の更新に期待でもしていただきたい所存であります。

では。





単刀直入に申し上げるところ、母の兄(つまり私の伯父に当たる方)が七夕の日に他界された。

病因は進行性の大腸癌、62歳という現在にしては若い年齢での逝去だった。

以前(こちらのブログに移転する前)の記事でも書いたことがあったGWの慰安温泉旅行のメインゲストだった方である。

で、土曜日に通夜があったので参列し、日曜は日曜で某重要試験を受けてきて、まず一息ってトコ。以上。

おい!と。
待てよ!と。
それだけかよ!と。
親戚亡くなったんだろ!と。

うん、それだけ。ただ、それだけ。

冷てぇ!酷ぇ!所謂「冷酷」だよおめぇ!

確かに忙しかったよ。でも、それだけ。
ん~、厳密に言うと「哀しくなかった」のかな。

それでも人間かよ!?とか言われちゃうのかな、やっぱり。
正直なところ、一滴の涙も出てこなかった。
普段は涙もろくて、ドラマやマンガですらそれなりの場面がくると「ええ話やのぅ・・・」なんていい歳して泣いたりもするよ。

でも、泣かなかった。

むしろ不思議なくらい気持ちは穏やかだった。
「凪いでいた」っていうのかな、あれは。いまでも若干それが残っている感じ。
いや、裏を返せば「虚無」なのかも。心に何も感じない。
別に寂しいからっていう訳でもなく、ひたすら静か。

訳分かんねぇよ!って?
ん~、私にも分からんよそんなモンは・・・。
でも考えられる理由がなくもない。
それは私が常々その言葉を避けている(というよりも無いものとして捉えている)からではないか、ということ。

私は「死」という言葉が嫌いである。

死を受け入れない、向き合わない、とかそういう問題ではなく、ただ考え方の問題なだけではあるが。

そもそもそう思い始めたのはブログを書くようになってからに起因する部分もある。
実際、読み返していただいてもその言葉を使った事は全くと言って良い程ないはずだ。

では、それは何故か?

たかがゲーム、されどゲーム。
ゲーム故にキャラの命は課金している限り永遠でもある。
でもそれを操っている人の命は限りあるもの。

特に近年、死という文字を目にする機会が増加の一方を辿っている。
病気、事故、殺人、テロ、etc。

と、そこまでいくと話が大袈裟になりそうだ・・・。

死なんてものは本人の望まないところから突然襲い掛かってくるケースが殆どだ、自殺を除いては。
だが事実、寿命なり何なりいづれこの世から姿を消すことにはなる。

けどね。

じゃあ生きていた時の事の全てがこの世から消え去ってしまうのかい?
身は滅びようとも、誰かの記憶の中ではまだ存在し続けてるんじゃないのかい?
それを総じて「死」という言葉で片付けてしまってよいものだろうか。

私の見解にすぎないが、「死」って言葉はその存在の全てがなくなってしまうこと。
記憶も記録も何もかもが消えて、無に帰すこと。
そう考えると、ただただ哀しいだけじゃないか。
だから私はその言葉を使わない。

大概の場合、その事象の事を私は「逝く」と呼称する。
察しの通り、「行く」と掛けているのがその理由。

初めに断っておくが、私は無宗教である。
特に何かに洗脳されてるわけではないので、あしからず・・・。

人はその身の終わりを迎えた時、この世からはいなくなる。
だが先程も申し上げたが、家族や友人知人、愛されていた人の心の中では永遠に生き続けていく。

別に「生死流転」だのとカッコイイ事を言うつもりもないが、またいづれ会うこともあるかもしれない。
逝ったことなんか当然ないのでなんとも言えないが・・・。

とまあそんな戯言を言いつつも、ただ単に人がいなくなる寂しさを己の勝手極まりない我儘な解釈で言いくるめているだけなのだろうなぁ、などと思ってもいたりするのではあるけれども。

でも、今回色々考えてるうちに、また変な考えを起こしてみたり。

「人が逝くって・・・なんかファンタジーじゃない?」

とか・・・。

それこそ何か宗教チックではあるのだが、天国だの地獄だの、輪廻転生だの阿羅耶識だの、神様・仏様だの・・・。

でも、これらの事って考えてみると実に奥が深くて面白い。
研究のテーマとしては興味津々だったりする。

聖書にしてもそう、それを教義として捉えてるわけではなくて、あくまでその世界観に魅かれるというか。
西欧の神話も似たようなものだろうし。
世にあるナンタラ教なんてものはどれもテーマは同じようなものじゃないのかな。

その全てに共通するものは、結局「逝った後、人はどうなるのか?」ってことじゃないの?よく知らんけどね。
宇宙の始まりと同じ位、永遠に分かりようもなさそうな問題なんだろう、恐らく。

でもそれを真面目に考えたりしちゃうところがまた可愛いじゃないか。

最終的に答えなんかでてこないのに、あ~でもないこ~でもない、と。
挙句の果てには妄想で色んな世界を創り上げちゃったりして。
人間の想像力の素晴らしさを痛感せずにはいられない。
いやぁ立派立派、パチパチ。

って馬鹿にしてるわけじゃないです、心から感銘を受けてるんです。

実際、通夜でお坊さんが面白い話をしていたし。
面倒なんでその経緯等は省くけど。
妙に納得したりして、感動を覚えたり。

つまり、今回の件でそういった考え方、要は思想なり世界観が私の頭の中に激しく押し寄せてきて、なんだか哀しくもなくなってしまったという感じ。
ファンタジー万歳!といったところか。

何考えてんだか、って思うでしょ。

でもね。

伯父さんの事を私はまだ覚えている。
伯父さんの存在は私の心の中ではまだ生きてる。

それでいいじゃない。

確かにもう話ができないのは至極残念ではある。
しかしそれはこちら側の我儘に他ならない。

伯父さんは用事ができて、一段上の世界に逝ったにすぎない。
いづれ私もそこに逝くことにはなるのだけれども。
それには時間が必要っぽい。
まだこの世で学ぶべきものが多いしね。
てかそもそもやるべき事の一つが目の前にあるじゃないか。

そう、

将軍になる!!

ってこの期に及んでまたそれかいな、私は・・・。

以上でございます。
何かご意見ご感想があれば、ぜひどうぞ。

では、また。
スポンサーサイト

Comment

Comment_form

管理者のみ表示。

メニュー

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。